江差で出会った松浦武四郎と頼三樹三郎は、弘化3年(1846)11月14日(今の暦では12月31日)に、1日で100の漢詩と100の印を競作する「百印百詩」を行いました。
松浦武四郎は、日記の中で「百印百詩」について書き記しています。
或時、予印を一日に一百刻さば其を題にて一百首を作らんと頼氏いはれ、其を一座ぞ実に文場の楽みなりと同じければ、霜月十四日を以て則ち其冬至なりければ、かゝる業は冬至の短日も亦後ちの話し草ならんと匆卒其日を以て、未だ夜の明けはなれざるよりして取りかゝり夜初更頃に其業を畢ぬ。(「自筆松浦武四郎自伝」(『定本松浦武四郎』下 吉田武三 1973年 三一書房))
これを解りやすく解読すると、
ある時、頼三樹三郎が、
「松浦さん、あなたが1日に100の印を彫るならば、私はそれを題にして100の漢詩を作りましょう」
といいました。
それは、文人仲間たちにとっても楽しみなことです。
そのようなことを日の短い冬至にするとなれば、後々話しの種にもなるだろうから、11月14日の冬至の日にしようということになりました。
11月14日の未明から始まり、夜が更けて少したったごろに終わりました。
となります。
2人の思惑どおり、この「百印百詩」は江差の人々に語り継がれ、記念碑も建立されました。
黒石に刻されているのは、第1詩「清晨(せいしん)」の印と漢詩です。